鳶の歴史
飛鳥~安土・桃山時代・・・鳶職と呼ばれるようになる前の時代。城普請などを行っていた。
江戸時代・・・鳶職と呼ばれるようになる。江戸の花形といえば大工、左官、鳶の三職のことで、いずれも江戸の町を築くために力を振るった職人であった。当時、主に木造家屋の建築現場で足場の架設や棟上の作業を行っていた。また、火事の現場も活躍の場であった。江戸時代の消火活動は延焼しそうな家屋を先回りして壊す破壊消防であった。そのため家屋の構造を知り尽くしていた鳶職人たちが消防組織の先頭に立ち、鳶口や掛矢を駆使して鮮やかな働きで家屋の解体を行っていた。当時の鳶職人たちは火消しが終わると羽織りの裏を返し、そこに描かれた派手な絵模様を見せびらかしながら町を練り歩いたと言われている。
現代ではおもに以下の3種類の鳶職に分類される。ただし、会社・職人によっては複数の職をこなせる場合がある。平組は、この中で言う「足場鳶」が主たる業務である。
鳶(町場鳶)に対して野帳場鳶という(野丁場ともいう、造成地や埋立地など町の形成される前の場所や町という単位から外れる、または超える規模の仕事の場所、検地(野帳簿ない)の出来ていない土地を指す)。
●足場鳶…建築現場で必要な足場を設置する職人。単に高所作業を行うだけでなく、設置場所の状態や作業性、足場解体時の効率など、その場に応じて的確に判断して組み立てることが求められる。会社組織として、建築現場の仮設足場のレンタル・据付・解体を一体となって請け負っている場合が多い。
●鉄骨鳶…鉄骨構造の建築物において、鉄工所、FABなどで製作された柱や梁になる鋼材をクレーンなどで吊り上げて組み立てる(建て方・建て込みとも呼ばれる)鳶。
●重量鳶…土木では橋梁の現場で主桁架設を行う。また、建物内部の重量物(大型機械など)の据付(設置)を行うのも重量鳶である。足場・鉄骨鳶に比べて専門性が高く、プラント・空調給排水設備・電気設備工事の一部を重量鳶が仕事する場合も多い。
●送電鳶…正式名称は送電線架線工という。電気工事の知識を持ち、特別高圧架空送電線の敷設や保守作業などを行う。就業者は工業高校や高等専門学校の卒業生が中心だという。近年は担い手が少ないため、送電線架線工会社は人員の確保に困窮している。